最近、時間の無駄だと思いながらひたすらYouTubeをみていたりする。
そんな中でたまたま見た動画に「人間関係の問題は情報不足です」と言うものがあった。
それは披露宴のスピーチの様子を撮影したもので、スピーチをしている人は多分、自己啓発セミナー的な事を仕事にしている人物。
非常に話が上手であっさり引き込まれ、多少の感動(ちょっとベタだけど)と共に最後にはなるほど、と納得してしまう。
その「人間関係の問題は情報不足」で思い当たる出来事があった。
毎日、毎日、会社に行くために、同じ時間に家を出て、同じ道を運転している。
そして、いつも同じ場所で一人の老人とすれ違う。その人も同じ時間に同じコースの散歩をしているのだろう。
その道は、左手に街路樹のある歩道。左手に線路。センターラインの無い、乗用車とトラックがすれ違うならちょっと気を使ってすれ違わなければならないくらいの道幅。
私は街路樹を左手に見ながら進んでいる。
その老人はいつも私から見て左側の車道を歩いている。ちゃんと歩道があるのに。ちゃーんと歩道があるのに。
対向車がいる場合は老人の前で減速したり停止したりしてやり過ごさなければならない。対向車がいなくても車道を人が歩いているならそれなりに注意を払ってすれ違わなければならない。
なぜ歩道があるのに車道を歩くのか?自分だって危ないし、こちらも気を使わなければならないではないか。
朝の憂鬱な心にもやもやとしたものが沸き上がる。そんな小さな心のさざ波を感じながら毎日その道を走っていた。
ある日の休日、久しぶりに実家に帰って両親と話をした。
私の父親は最近めっきり視力が落ちたがまだ元気で毎日散歩を欠かさないらしい。聞けば結構なスピードで歩いていると言う。
私は転倒などしないか祈らずにはいられなかった。
すると父親は「歩道には小さい段差があってつまずくので、車道を歩くようにしている」と言ったのだ。
私はその時、毎日すれ違う老人の事を思い出した。
きっと彼も毎日の健康のために散歩をしているのだろう。そして私の父親と同じような理由で車道を歩いているのだろう。
そう思った時、私の「怒り」は「祈り」に変わりました。
今後は何か人間関係のトラブルがあった時は情報収集に力を入れる事にしよう。